東海道五十七次ネットワーク:#宿場なう

ぬまづ歴たび

東海道五十三次はよく聞く言葉ですね。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。または、日本橋から京都までの53の宿場町を繋げたもの。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。

wikipedia:東海道五十三次

宿場町は
品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚 
大磯、小田原、箱根、三島、沼津、原、吉原、蒲原 
由井、奥津、江尻、府中、丸子、岡部、藤枝、嶋田 
金谷、日坂、掛川、袋井、見附、浜松、舞坂、荒井 
白須賀、二川、吉田、御油、赤阪、藤川、岡崎、池鯉鮒
鳴海、宮、桑名、四日市、石薬師、庄野、亀山、関 
阪の下、土山、水口、石部、草津、大津

さらに大坂までを加えて東海道五十七次とする説もあります。
その際には、伏見、淀、枚方、守口が加わります。

沼津宿とは?

我が地元の静岡県沼津市も沼津宿として栄えていた宿場町です。

沼津宿(ぬまづしゅく、ぬまづじゅく)は、東海道五十三次の12番目の宿場である。現在の静岡県沼津市大手町周辺にあった。
本陣3、脇本陣1、旅篭屋55、総戸数1234を数えた。

wikipedia:沼津宿

沼津宿は、浮世絵として歌川広重、葛飾北斎、三代歌川豊国などが描いています。

その中の1枚、歌川広重・保永堂版 沼津・黄昏図では
「狩野川沿いの東海道を沼津宿へ急ぐ旅人を描いている。」と言われます。

画像は著作権フリー版より

ぬまづ歴たびでは
江戸時代・歌川広重・浮世絵の世界から現・沼津を体感タイムスリップツアーとして
歌川広重・保永堂版 沼津・黄昏図などの解説を行います。

丸子宿・丁子屋さんとの出逢い

東海道五十三次の21番目の宿場町:丸子宿は歌川広重・保永堂版では
「弥次さん、喜多さん」と思しき旅人二人が、お店の中にいらっしゃいます。
よく見るとそこには「名物とろろ汁」と書かれています。

画像は著作権フリー版より

丸子宿でとろろ汁といえば、丁子屋さんに他なりません。

慶長元年(1596年)。時は猛々しい戦国時代。
駿府の町が目の前で焼き払われ、豊臣秀吉は小田原城征伐のため兵を挙げ宇津谷峠を通過。そのような中、初代・平吉はのれんを掲げ、ここに丁子屋が創業しました。

丁子屋の歴史より

2年半ほど前の事、当時ぬまづ歴たびを立ち上げるべく、沢山の方々とお逢いしておりました。
沼津市内の方が中心では有りました。

当時、個人的にまちづくりにも興味を持っていて、関わる方々やセミナーや勉強会等にも
積極的に参加しておりました。

その関係から、まちづくりの手本になりそうな、宿場町でどこか無いだろうか?と探した事があり
そこで出逢ったのが「丸子宿」でした。

静岡方面に行く機会があった時に、「丸子宿」に立ち寄り、「丸子宿」の街並みを一通り巡りました。
橋の袂の駐車場に車を停めていたので、再び戻って、「丁子屋」さんのところに戻りました。

「丁子屋」さんが浮世絵に描かれている事は、既に知っていたし、ちょうどお昼時に近かったし
以前より食べたかった「丁子屋」さんのとろろ汁をいただきに参りました。

当時の事は、facebook投稿:2018年8月31日に残っておりました。

思い立った様に
駆り立てられる様に
やってきた丸子宿

とろろ汁の丁子屋さんの開店11時までと
東海道五十三次の香り漂う宿場町を散策。

何故、駆り立てられたのか
直ぐに理解出来ました。

沢山のヒントだらけな街並みでした。
とろろ汁を平らげて、午後の予定へ備えます。

facebook投稿:2018年8月31日
写真の説明はありません。
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mめめいめ
写真の説明はありません。
名物のとろろ汁

食事を終えて、会計を済ませようとしたところにいらっしゃったのが
丁子屋十四代目の柴山 広行さんでした。

丁子屋さんに来た理由や街並みのこと、またぬまづ歴たびの志事の事などの話をしたのが
最初のきっかけでした。

#宿場なう

最初に丁子屋さんの十四代目の柴山 広行さんとお話をした際に、「#宿場なう」の事を
聞きました。

「#宿場なう」とは
丁子屋さんが茅葺修復を行った2018年。その際行ったクラウドファンディングがきっかけで
つながり始めた宿場のご縁、宿場町1箇所に元気なお店・人達をつなげて広げていこうと
はじめられたのが、「#宿場なう」だそうです。

当初は沼津宿で元気なお店や人を紹介してほしいとの要望をいただき、それでは後日誰か
ご紹介しますと言うことなり、お店を後にしたのでした。

数日後、柴山 広行さんからの連絡で、検討した結果「沼津宿は是非、ぬまづ歴たび」にと
ありがたいお言葉を頂戴して、ハレて「#宿場なう」の仲間に入れて頂きました。

その後、日本橋で開かれた日本橋「街道観光展2018」に丁子屋さんと共に出展させて
頂きました。
2018年11月末から12月16日までと期間が長かったので、出展出来る日を決めて
週末を中心に参加させて頂きました。

その時に同じ様に出展されていたのが、品川宿と二川宿でした。
お二方とも、その後facebookにて繋がって頂きました。

そうやって東海道五十七次がネットワークでつながる「#宿場なう」へと
発展していった訳です。

なお、「#宿場なう」についての詳細な内容は丁子屋ブログ
宿場なう 東海道のご縁をつないだらこうなりました2021
記載されております。

これからも、この「#宿場なう」繋がりでの何らかの動きがあるかも知れません!?
というよりも、日本国内への発信はもとより、歴史・ストーリーの大好きな欧米人向けに
発信する事で、「東海道五十三次」「東海道五十七次」、また「#宿場なう」が
ウケるのでは? 私的にはそう思っています。

何か面白い事がやりたい!少し考えてみたいですね。

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