先日作成した「一里塚マップ」、他にも道に創られたものが有り、新たにマッピングを始めました。
高札場
高札場とは?
高札(こうさつ・たかふだ)とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法である。
木の札に、表題・本文・年月日・発行主体が書かれており、これを屋根が付いた人目に目立つ一段高くなった高札に掲げられた。その起源は確かでないものの、延暦元年(782年)の太政官符に官符の内容を官庁や往来に掲示して、民衆に告知するように命じた指示が出されている。以後、武家政権でも同様の方法が取られている。
幕府は人々の往来の激しい地点や関所や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口や中心部などの目立つ場所に高札場(制札場)と呼ばれる設置場所を設けた。
これを最も良く用いて全国的な制度として確立したのは江戸幕府及び諸藩であった。特に重要度の高い触は木製の立て札である高札(制札)で掲示された。
wikipedia:高札場より
ある意味では、高札場を知る事で、特に江戸時代の繁華街を知る事が出来るのでは?と私的には思います。

辻の札
また、札の辻、札ノ辻、札之辻という言葉もあります。
札の辻、札ノ辻、札之辻とは?
街道や宿場町など往来の多い場所に高札を立てた道・辻。
wikipedia:札の辻より

googleマップ版:高札場と辻の札マップ
高札場と辻の札を同時に表示させれば、江戸時代の繁華街が、更に解りやすくなるのかなと思います。

タイムトラベルマップ版:高札場と辻の札マップ
更に解りやすくするために、歴たび舎(ぬまづ歴たび)のオリジナル地図システムのタイムトラベルマップで表示させてみます。

ここからが、タイムトラベルマップの本領発揮。江戸(東京)にズームアップ

さすがに江戸時代の地図には・・・ですが、
旧版地図 関東1894-1915年へと切り替えます。
タイムトラベルマップで時間旅行
1894年(明治27年)-1915年(大正4年)の地図で、時間を遡る事で見えてくるものが多々あります。

高札場の1つ「浦高札場」に、更にズームアップします。

南品川宿と北品川宿に挟まれた場所が「浦高札場」だったとわかります。
品川宿 (しながわしゅく)とは?
国立国会図書館:錦絵でたのしむ江戸の名所より
現住所:品川区北品川・南品川
解説
現在の京浜急行の北品川駅から青物横丁付近にあった東海道の宿場。中仙道の板橋、日光・奥州道中の千住、甲州道中の内藤新宿と並び、江戸から五街道に入った際の第一番目の宿場「四宿」の一つ。次宿は川崎宿(元和9(1623)年以前は神奈川宿)であったため、東海道では唯一御府内の宿場となる。当初、目黒川をはさんで「北品川宿」、「南品川宿」の2宿で構成されていたが、享保7(1722)年その北に「徒歩新宿」が加わり、北側は八ツ山から南は大井村境(「妙国寺門前」と記載された史料もあり。)までの、東海道約2kmを中心とした宿場となった。
「目黒川」を確認するには、現在の地理院地図に変えてみます。

位置関係が更に判り易いと思います。
空から見てみましょう。空中写真 [1947年頃]に切り替えます。1947年(昭和22年)ですね。

もう少しズームアップします。

現在の「地理院写真」に切り替えてみます。

橋の位置が違いますし、街並みももちろん違います。
あとがき
これはまだメタ観光マップとしてはスタート段階。例えば、先の「一里塚マップ」を加えたり、「江戸時代の東海道」や「本陣」「脇本陣」などを加えていくことで、更に面白いでしょう。
江戸時代の道について、更に詳しい説明を加えさせていただいたり、また、その後の明治時代の「里程元標」、大正時代の「道路元標」を加えていくことで、時間旅行:タイムトラベルとして更に楽しめます。
また、江戸時代の地図などは、「古地図アプリ作成ライブラリのMaplat」を使う事で重ね合わせ可能です。例えばこれも明治時代ですが、「1886年(明治19年)の東京15区の地図」と重ね合わせたMaplat

次はMaplat版で創ってみたいですね。
タイムトラベルマップはGPS機能もついていますし、ルートを設定することで、ご希望がありましたら、オンラインツアーやリアル街歩きツアー等でご案内させていただきます。
コメント